小児白血病の
治療
1. 小児白血病の治療
―イントロダクション
2. 命を救われた少女
3. 標的を特定する
4. 鍵と鍵穴
5. 生産ラインを遮断する
6. 初期の化学療法
. 仮説に賭ける
8. 系統的な医学研究
9. 新たな展望
10. クレジット
鍵と鍵穴
 純粋な酵素が入手できたので,実験室内でこの重要なタンパク質の活性を研究したり操作したりできるようになった。その結果,酵素はひどく気むずかしい存在であることがわかった。工場の生産ラインで働くロボットのように,特定の酵素は特定の部品だけを拾い上げ,いつも同じ製品を作っている。この考え方は,純粋な酵素が手に入るよりも前,1894年にフィッシャー(Emil Fisher)が提起したものだ。フィッシャーが互いに似ているが少しだけ異なった化合物をいくつか合成して試したところ,細胞中の酵素はこれらの化合物を区別した。このことから,フィッシャーは反応を開始する化合物は鍵穴(酵素)にぴったりと合う鍵のようなものだと表現した。この例えは今も使われている。

 これが白血病治療薬に結びつくには,理解がもう1段階進む必要があった。欠陥のある鍵が鍵穴をふさいで妨害してしまうという点だ。初めて医学に役立った“欠陥鍵”はプロントジルという染料だった。同種の染料はドイツの繊維産業がずっと以前から使用しており,いずれもスルフォンアミド基という化学基を含む化学物質だった。色落ちなしに絹やウールを染色できる。プロントジルが生物学研究に登場したのは1935年,ドーマク(Gerhard Domagk)の研究による。マウス細胞にさまざまな化学物質を加え,細菌を取り込むのを防ぐ効果を調べる過程で,たまたまプロントジルを試した。プロントジルは細菌の取り込みには影響しなかったが,細菌を接種したマウスが生き延びることが観察された。その後まもなく,プロントジルや同様のスルフォンアミド剤が有効な抗菌薬として登場した。この業績により,ドーマクは1939年にノーベル賞を受賞した。1943年には,年間5,000トンものスルフォンアミド剤が製造されるようになる。第2次世界大戦中,スルフォンアミド剤はペニシリンなどの抗生物質とともに感染症治療に重大な役割を果たしたが,まもなく抗生物質に道を譲り,その役割を終えた。
   
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原文はNASのBeyond Discoveryでご覧になれます。
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