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BEYOND DISCOVERY
日経サイエンス
■ポリマーと人々
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BEYOND DISCOVERY
THE PATH FROM RESEARCH TO HUMAN BENEFIT
■設計されたポリマー
 サイクロスポリンAによって臓器移植の数がぐっと増えたほか,臓器をそっくり丸ごと人工的に作り出す「組織工学」の土台が整った。拒絶反応によって患者が命を落とすことはなくなったが,移植外科医たちは移植用臓器が足りないために患者を救えないという新たな悩みを抱くことになった。最初に人体臓器移植に成功したのはボストン小児病院だが,image08_1同病院のバカンティ(Joseph Vacanti)もこうした医師の1人だった。image08_21983年,バカンティはマサチューセッツ工科大学(MIT)で化学工学を専門とする友人のランガー(Robert Langer)とともに,若い患者たちの命を救うため,人工肝臓など人工組織の製造について可能性を検討し始めた。

 これは難問だった。実用的な人工臓器はまだ1つもできておらず,まして肝臓のような複雑な臓器は難しい注文だった。ランガーは非常に多くの経験を結集して,この問題を合理的に解決しようとした。彼は1970年代半ば,ハーバード大学のフォークマン(M. Judah Folkman)のためにある種のポリマーを開発したことがあった。当時,フォークマンはガンの周囲にできる新生血管が腫瘍の成長を促進する役割を調べており,血管形成を制御している化学信号を阻害する化合物をゆっくりと放出する材料を探していた。これに対しランガーは,エチレン酢酸ビニルなどのポリマーは水をほとんど吸収せず,化学物質をゆっくりと放出できることを発見した。

 最終的にランガーが注目したポリマーはポリグリコール酸(PGA)だった。PGAは生分解性の縫合糸としても使われており,1970年に販売が始まっていた。PGAそのものは1950年には知られており,デュポン社のヒギンズ(Norton Higgins)が温度と圧力を注意深く操作しながらグリコール酸から作り出す3段階製法の特許を取っていた。ヒギンズの特許は医療応用について触れていなかったが,1963年,アメリカン・サイアナミッド社のシュミット(Edward Schmitt)とポリスティーナ(Rocco Polistina)はPGAから縫合糸を作る特許を出願した。その7年後にPGA製縫合糸の販売が始まると,強くて信頼性の高い実用的な縫合糸として急速に普及し,それまで外科医が使っていたコラーゲンを主成分とする分解縫合糸に取って代わった。

 ランガーはPGAや類似のポリマーを用いて,複雑な多孔質構造を備えた生分解性・非生分解性ポリマーの小球を作り出した。この多孔質構造によって,大きな分子を徐々に放散することが可能になる(現在のドラッグデリバリー=薬物送達=技術はこの発見がもとになっている)。ランガーとフォークマンは1975年,血管新生を阻害して腫瘍の成長を抑える初の化合物を軟骨の中に発見したが,これには化学物質を仕込んだ小球が大きく貢献した。

 1984年,バカンティとの共同研究が始まったのとちょうど同じころ,ランガーはジョンズ・ホプキンス医学研究所の脳腫瘍外科医ブレム(Henry Brem)と手を組み,ポリマーを使った脳腫瘍の治療法を試みることにした。当時,CTスキャナーやMRI(磁気共鳴画像撮影)装置などガンの発見に役立つ新装置が登場してはいたが,悪性脳腫瘍はほとんどが治療不可能だった。さまざまな血中化学物質が脳に浸透するのを防ぐ「血液脳関門」と呼ぶ仕組みがあるため,腫瘍摘出手術の後に残ったガン細胞に化学療法薬が届かない。そこでブレムは,ポリマーを使えば抗ガン剤を脳内の必要な場所でゆっくりと放出できるのではないかと考えた。

image08_3image08_4 ランガーはブレムの要望にこたえ,薬の放出速度を制御できる生分解性のポリマーを設計した。1992年,ブレムは現在デューク大学ガン研究所長を務めているコルビン(Michael Colvin)とともに,薬を仕込んだポリマー片を腫瘍摘出後に埋め込んだ。実験動物で人間の患者で,ともに延命効果が見られた。薬剤が局所的に放出されるため,抗ガン剤によくある全身性毒性も生じずにすんだ。このポリマー片は1996年に米食品医薬品局(FDA)の認可を受け,脳腫瘍としては25年ぶりの新治療法となった。現在,同種の薬物徐放システムが前立腺ガンや子宮内膜症,重い骨感染症の治療に使われいている。

 こうした努力の積み重ねが,肝臓などの臓器の代替物を作ろうとする現在の研究の基礎となっている。これまでに,平皿上で培養した人体細胞ではタンパク質が正常に配列しないが,3次元の足場の上で培養すると生化学的に見て比較的正常になることがわかった。当初,最も良い結果が得られたのはPGAだったが,1984年当時はPGA繊維を生分解性縫合糸から取るしかなかったので,時間をかけて縫合糸をほどき,肝臓細胞を支える網状のプラスチック足場を作っていた。それでも1986年までにプラスチック足場で育てた肝臓細胞が動物に移植した後も生き続けて機能するようになり,骨や軟骨,皮膚に至るさまざまな組織を作るのにポリマー足場を利用する基礎が築かれた。

image08_5 現在では織物産業から生まれた不織布技術を使ってポリマー足場が作られるようになり,動物やヒトの少なくとも25種の細胞を育てるのに利用されている。これが人工臓器を作るための一般的な枠組みとなった。バイオテクノロジー企業はこの足場を使って,糖尿病性潰瘍や重度の火傷を治療するための人工皮膚を作っている。生きた細胞(外科手術で普通は捨てられる組織から取ったもの)を培養液中で増やし,これをポリマー足場の上に「種をまく」ように植えつける。こうして作った人工皮膚は患者の傷を覆い,命取りになるような感染症や体液の流出を防ぐ。より重要なのは,人工皮膚が含む細胞が,傷の近くにある正常な細胞の増殖を促す化学的成長因子を放出することだ。ベーカーのような糖尿病患者が人工皮膚を使った場合,治癒の程度が約60%向上したが,これはこうした化学物質のおかげだ。組織工学の専門家たちは,将来はポリマー足場を使って,脊髄損傷治療用の神経細胞や関節治療のための骨や軟骨細胞,糖尿病患者のためにインスリンを作る膵臓細胞,移植用肝臓を作るための肝臓細胞を培養したいとしている。

 こうしてさまざまな科学者たちの懸命な努力を振り返ると,いくつかの事実が明らかになる。必要性が生じてから実用化へ至るまでの道のりは,科学と技術のさまざまな分野にわたっており,また基礎研究がもたらした発見に大きく依存している。初期のポリマー発明家らは,運に任せて天然素材を加工するやり方だったが,ポリマーの分子量(分子の大きさ)と物性の関係など,ポリマーを支配する基礎的な特性が基礎研究によって明らかになると,発明家たちの仕事も大きく加速した。同様に,臓器移植を可能にした医学と生物学の進歩も,化学伝達物質や遺伝情報,細胞の働きに関する基礎研究に負うところが大きい。高分子科学と材料工学が生物学や医学と結びついて現代の奇跡をもたらしたわけで,学際的な共同研究と本質的な基礎・応用研究が福利の真の源泉であることがここでも見て取れる。実験室で生体組織が作られるようになったのは,そうした福利のありふれた,しかし深遠な例といえる。
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